生きるのヘタ会?
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/ikiheta/comment/202011/sp/0013870979.shtml
と、いう会が存在するらしい。
今後この会に自分のことを投稿する予定は全く無いが、ここで私が如何に生きるのがヘタか語っていきたいと思う。
まず私は極端な思考の持ち主だ。
たとえ99の賞賛があったとしても(そんなにもらったことは無いが)、1の否定があれば体感100の否定と捉えてしまう。
ブログのコメント欄閉じてる時点でお察ししてください…
対人関係でもそれは同じで、『この人には何を話しても許される』と相手に思えないと
途端に『何もかも話せなくなる』のだ。
もちろん何を言って良い訳ではないのは昨今の炎上しやすい世の中を見ていて痛感している。(余計生きづらいなぁ…とも思う)
とにかく『何を話しても許される』と思えない相手に対しては何もかも地雷に感じ、萎縮し、胸がつっかえて、用意していた言葉は塵となっていく。故にまともに話せないカタコト人間となるのだ。
それによってすれ違いが生まれて溝が深まるばかりである。
最近そういった場面が増えて胸が苦しい。
自業自得と思う一方で、心の中で許す空気を出してくれない相手のせいにしてしまうのを止められない。どうしても最後まで話し切れず、逃げ出したくなってしまう。
こんな私に共感してくれる人がいたらな、と願ってやまない。
こんな苦しい気持ちを抱える人間が、いないに越したことは無いと思うが。
ここではないどこかへ
昔からずーーーーっと思ってる
『ここではないどこかへ行きたい』
(死にたくはない※ここ重要。)
小学校の時は中学校、中学校の時は高校、高校の時は大学、大学の時は就職、就職したら再就職先………………エンドレスである。
現状を抜け出したくて、次にあるまだ見ぬ世界を夢見てきた。過去に戻りたいと思ったことは一度も無い。
その世界にたどりつけたらこの気持ちも落ち着くんだろうと思ってきた。
でもエンドレスだった。良い年齢の大人になったというのに一向に思考が変わる気配がない。
こういうのって逃避癖て言うんだろうなぁ。実際逃避したことといえば、高校大学の体調不良と偽ったサボりが数えるほどだけども。
根は真面目なところは結構誇りだ。(急にドヤ)
いつかはこの思考をなくしたい。でも今は癖だと気づいているから、こんな思考無くなりなんてしない。ずっと付き合っていくしかない、そんな気持ちに変わりつつある。
ここで吐き出すのも逃避癖と付き合うための術(すべ)だと思ってやってる。漠然としてるけど書くこと無くなった!終わり!
仲間はいずこへ
あの時私が言ってほしかったのは
食べることは生きること
『嫌いなものを数えたら有り過ぎてキリがない』